子どもの自信回復② “試す”より”育む”

こんにちは、ソフィーの北岡です。
今回も自信が持てなくなってしまったお子さんがいらっしゃる家庭向けです。
もし、お子さんの自信に関してお悩みでない場合、この記事は読まなくて大丈夫です
前回から、自信の回復について書いています。
前回は、自信回復には「甘やかしていいこと」、「自信とは何か」、「生まれてからどう自信が育っていくか」「学業の自信は学業以外の自信からでいいこと」
を書いていました。その続きです。

家庭は、安心するための空間

思春期には、自信を失ったり自己否定に陥るような出来事がたくさんあります。部活や勉強、人間関係など様々な場面で挫折や思い通りにいかないことがあります。大人と比べると感情のコントロールがうまくない場合が多く、大人からしてみたら大したことのない出来事でも心に深い傷を負ったり自信を無くしたりします。

家の外で、自信を奪われる機会が多いからこそ、家庭は自信を充電できる場であることが大切です。自信を失ったときに、家で「ホッ」としたいのに、「もっとがんばりなさい」は、なかなかつらいものがあります。

仕事で上司に怒られて落ち込んで家に帰って、奥さんに「あなたしゃっきりしてないから怒られるのよ。もっと仕事に役立つ資格勉強したら?肝心なときにシャツのすそ出てるし。」と言われたら働きたくなくなります。元気なときだとしても柔らかく言ってほしいものです。

仕事でお客さんにクレームをもらった日に、旦那さんに「そりゃクレームもらうだろ、君は気が利かないからなぁ、ほら、この料理も焦げてるし。」と言われたら、心底傷つきます。家では、ただ優しくしてほしいものです。

もちろん、子どもも同じです。勉強であれ、部活であれ、悔しいことや悲しいことがあったときや、先生に叱られたり友達に劣等感を持ったあと、家でダメ出しされたら………もう自己否定まっしぐらです。

家族という、心理的距離が近い関係では、励ましたい気持ちや強く育ってほしい気持ちが元になってダメ出ししてしまうことはよくあることです。家族だからこそ厳しくなることもあります。

そのため、自信をなくしている子どもを回復に向かわせるには、「甘やかす」気持ちで接するくらいでちょうどよくなります。自信を無くしてしまっている場合はとくに、甘やかしすぎでは?と思うくらいの優しさでちょうどよく「私は無条件で愛される価値がある」を感じ、回復に向かっていきます。

“試す”より”育む”

甘やかしてもいい、ということがわかったら、次は、自信回復を順調に進めていくためのマインドセットです。

大切なものほど、”育む”価値観に変化させていくことをおすすめします。愛情や自信も育むものです。

自信を失っている子たちは、どこかで”試される”生き方に疲弊したり嫌悪感を持っていることが多くあります。

「試されるのがいや」という気持ちは多かれ少なかれ誰もが理解できるのではないでしょうか。

そもそも、試す、という行為は「替えの効くもの」、いわゆる消耗品のようなものに適した行為です。「試してみて、壊れちゃった」で済まされないものには適しません。

スマホを製作する仕事で「どれくらいの高さから落としても大丈夫なのか試してみよう。50cmだとスピーカーが壊れるのか。次の試作品はスピーカー部品を修正してから50cmに再挑戦しよう。」と同じように、

子どもに対して「子どもが、どこまでできるか試してたら心壊れちゃったな〜。次の子で心のケアの仕方を修正しよう。」とはできないはずです

そして、”試す”という意識がなくとも、条件がある愛情は”試す”行為になりえます。条件がクリアできるか試しているわけです。

「〇〇学校に行けないならウチの子じゃありません」は、そこに行けたら愛情を与える、といように試しています。

ただ一方、「〇〇学校に行ってほしいと思う」という希望と、その希望の理由を伝えることは、「行かなかったとしてもそれはそれでいい」という本心があり、「あくまで親としての意見です」というかたちなら試していません。

このほんの少しの差を子どもは感じ取ります。

家庭では育むことに意識を

大量生産・大量消費社会での歴史を重ねたからか、それとも工場タイプの学校教育に慣れているからか、それはわかりませんが、”試す”行為が”育む”行為より無意識に選択されていることに注意しなければなりません。

「おれ/わたし、のことが好きならこれくらいやってみてよ」という愛情を試す人は、相手が代替できる存在だと思っています。

「ノルマ売ってきなさい。あなたの代わりはいくらでもいるんだよ」というような言葉はサラリーマンが出てくるドラマなんかでよく聞く表現です。

“試す”は対象を「代替品」として見ていることが前提の考え方です

こういった”試す”行為や考え方は、世間にありふれているからこそ無意識にやりがちですが、この前提を忘れてはいけません。

本来人間は一人ひとり違うわけですから代替できるものではありません。

とくに、このブログを読むような方々にとって自分の子どもはかけがえのない存在のはずです。

“試す”、が当たり前になっている社会の流れを家庭に持ち込む必要はありません。

家庭の外で”試される”ことが多いからこそ、家庭では”育む”ことを大切にして、バランスをとっていってほしいと思います。

この話は次回に続きます。