ソフィー学習塾の歴史

ここではソフィー学習塾の歴史を振り返り、ターニングポイントとなった出来事などを創業者三浦哲が紹介しています。ソフィー学習塾がどのようにして今のソフィー学習塾となったのか、この記事を読むとよくわかってくるはずです。


ソフィー学習塾の歴史【目次】



ソフィー学習塾の歴史 【Part1】夢想期〜構想期


【1994年7月〜1997年3月】 夢想期 アメリカ留学

私(三浦哲)は21歳の時にアメリカの大学に留学しました。日本の大学を休学し、ウエスタンケンタッキー大学という州立の4年制大学に編入したのです。専攻はスピーチコミュニケーション学でした。

jack-satoru留学の目的は、当時は「スピーチコミュニケーション学を学びたいから」と大学の先生や友だちには言っていましたが、本当の理由は「アメリカに住んでみたいから」というような、もっと漠然としたものでした。ただ漠然とはしていたもののその衝動はそれなりに強力で、自分の奥底にある何かが自分を動かしているような感覚でした。

今考えると私は「理想の教育の場」を探していたのかもしれない、と思います。当時は、(もしくは今でもそうかもしれませんが)アメリカの大学には理想的な学習環境がある、と日本では一般的に思われていました。私はそういう環境に身を置き、自分を成長させる、という体験をしたかったのだと思います。

「理想の教育の場」は見つからず

ただ、結論から言うとアメリカに自分が探していた教育の場は私が行った場所にはありませんでした。ケンタッキーのその大学だけでなく、夏休みにニューヨーク大学のサマークラスなども受講しにいってみたりしましたが、「これだ!」という感じではありませんでした。もちろん刺激はたくさんあって、学んだことも本当にたくさんありました。でも、「理想の教育の場」を見つけることは最後までできませんでした。

それでも「理想の教育の場」のヒントだけは見つかる

しかし、ヒントのようなものは見つかりました。それはアメリカ留学2年目の感謝祭休暇の時でした。(アメリカの大学は11月の感謝祭の週に1週間近く休みになります)

私は友人と2人で車でシカゴまで旅をする計画を立てました。そして10時間ほどかけてケンタッキーのボーリンググリーンという町からシカゴまで北上しました。

シカゴは私が住んでいた町とは比べ物にならない大都市で、当時アメリカで最先端の商業施設がたくさんあり、それらを2人で巡りました。そのうちのひとつにバーンズ&ノーブルという大型書店がありました。その書店にはソファーがたくさんあってカーペットが敷いてあり、まだ買っていない本を自由に座って読めるようになっていました。また店内にはアメリカで店舗を増やし始めていたスターバックスがあり、そのエリア内にまで買っていない本を持っていって読める、というものでした。そのスターバックスのエリアではテーブルの上に本を10冊以上平積みにして本を読みふけっている人たちがいました。その光景は今でもはっきりと思い出すことができます。スクリーンショット 2015-12-30 09.35.20

今では日本にも似たようなスタイルの書店は増えてきていますが、その頃日本ではまだまだ「立ち読み禁止」的な雰囲気が書店にはあった時なので、非常に驚きました。そして好きな本をコーヒーを飲みながら読みふけったり、読んでいる本について語り合ったりしている様子やその場の雰囲気は強く印象として自分の中に残りました。そして「こんな雰囲気の学校や大学がつくれないかな」と思いました。

おそらく、この時の印象がその後の教室の環境づくりに少なからず影響を与えていると思います。

【1997年4月〜1997年9月】構想期(1) 大手進学塾就職

日本に帰ってきてから1年間日本の大学に戻った後、就職しました。就職活動の際には自分なりに真剣に世の中の流れや自分の向き不向きを深く考え抜き、最終的に教育関係の仕事に絞っていきました。そしてその中でも急成長していて教育理念もしっかりしていたように見えた、当時静岡に本拠を置いていたある大手進学塾に就職しました。

まだこの頃は「自分で理想の教育の場をつくろう」などとは考えていませんでした。あくまで「面白そうな教育の場で働き、そこから何か見えてくるものを見つけよう」という感じでした。

就職したその塾は、本当にイケイケで勢いがあり、校舎数もどんどん増やしているところでした。東海地方中心に200校ほどの校舎があり、同期の新卒採用者も100人くらいいました。その進学塾の売りはそのエンターテイメント性のある授業で、個性豊かな講師たちが繰り広げる工夫された授業は、確かに魅力的で面白いものでした。

就職後しばらくして、違和感を感じるようになる

しかし、就職してから3ヶ月もすると私の中にひとつの大きな違和感と疑問がわき上がってくるようになりました。それは「これは本当の意味での教育ではないのではないか?」というものでした。

その塾の授業は講師が大声で生徒たちの気を引き、笑わせ、叱咤激励する、という感じのものでした。その授業の中心はあくまで講師であり、講師にとって授業はステージであり、そのステージでいかに生徒たちを魅了するか、というのが彼らの関心事でした。でもそれって「教育」なのか?それって「エンターテイメント」かもしれないけど、「教育」とは違うのではないか?そういう違和感が入社3ヶ月後から数ヶ月間、ずっと私の中で渦巻き続けました。

自分の授業ビデオを観て

その塾では研修として各講師の授業の様子をビデオで撮り、それを見返しながら改善点を自分で探したり、先輩からアドバイスをもらう、という取り組みをよく行っていました。

入社以来私も何度も自分の授業のビデオを観てきていたのですが、入社してから半年くらい経っていつものように自分の授業のビデオを自宅で見返していたとき、急にあることに気がつきました。それは「教室の中で一番目立っているのは自分である」ということでした。

これは当たり前のことなのかもしれません。でも、本来は教育や学習の場の中心は他でもない生徒たちであるはずです。しかしビデオの中の教室の中心は間違いなく講師である私でした。汗をかいてエネルギーを使いまくっているのは自分であり、生徒ではありませんでした。生徒たちは私の話を聞いて笑ったり喜んでくれてはいる。だけどもしかしたら私は生徒たちの学習を、どちらかというと大きな声を出したりして邪魔してしまっているのではないか、とさえ思えてきました。

テスト前の自習時間にその違和感の「理由」に気がつく

その次の週、中学生のクラスは定期テスト前のため自習時間となりました。塾に来ている生徒たちはそれぞれ別々の学校から来ていて、テスト範囲が異なるため、授業を進めても次のテスト範囲ではない内容になってしまう生徒も出てきます。テスト直前にテスト範囲外の勉強をしても目先のテストの点数は上がらないので、自習時間とするのです。その時間、講師は教室内で監督をします。

私は教室の一番後ろの席に座り、先週ショックを受けるもととなった自分のビデオ内の姿を思い浮かべていました。どうしたらいいのか途方に暮れた気持ちでため息をついた後、ふと40人くらいの生徒たちが必死にテスト勉強をする姿を眺めました。そしてここでまた非常に重要なことに気がつきました。生徒たちは私が彼らの前で授業をしている時よりも、前のめりに集中して、黙々と集中して学習に取り組んでいたのです。ふだんの授業では生徒たちの気が授業内容からそれないように苦労しまくっているのに、今この時間内にはそんな努力は全くしていないのに、全員が集中して学習を続けていました。衝撃でした。

【1997年9月〜1998年2月】 構想期(2) 独立準備

この時から、このテスト前自習時間の生徒たちの前のめりに学習する姿と、シカゴの書店で見た人たちが楽しみながらもむさぼるように本を読む姿とが頭の中で重なるようになりました。そしてそういう学習の場を自分でもつくりたいと、かなり現実的に想像するようになりました。

考えてみれば考えてみるほど、これまでの教育の場は「教える側の視点」からつくられているように思えました。だから自分はそれとはまったく逆に「学ぶ側の視点」から教育の場をつくったらどうなるんだろう?とイメージを膨らませました。

中に入るだけでワクワクして学びたくなるような部屋ってどんな部屋だろう?自分が学びたいことを理解してサポートしてくれるような専門知識を持ったスタッフがいる場所があったら、どんなふうに感じるだろう?学習しながら他の生徒たちとつながって人間的に成長もしていけたりしたら、どんな気持ちになるだろう?

教育や心理学に関する本を読みあさってみたり、雑誌を買ってきて理想の書店やカフェのインテリアの写真をスクラップしたり、事業構想を紙に書き出してみるなどしたりし始めるようになりました。こうしたことを数ヶ月夢中で続けました。ただ、この頃はまだ「学習塾」を自分で始めようとは思っていませんでした。それがなんだか良くわからないけど、まだ世の中に存在しない事業形態の学びの場をつくってみようと思っていたのです。でも、それが何なのかとかそれをどうしたら実現できるかとかは、全然わかっていませんでした。

ある全国チェーンの塾の説明会に参加

そんな日が続いていたある日、雑誌に当時全国チェーン展開を始めていたある塾の説明会の広告が出ていました。そのチェーン塾の代表者はちょうど1年前くらいに大手出版社から教育に関する本を出版していてベストセラーになっていました。就職活動のとき、教育関係に就職活動を絞り始めていた私はその本を読んですでにかなり感動していたので、早速新宿で行われる予定だったその説明会に申し込みました。

約1ヶ月後、この説明会に参加して、この学習塾が私がイメージを膨らませていた「学側の視点」に立った学習の場にかなり近いイメージを持って、それを実現しようとしているということがわかりました。

2〜3日熟考後、自分もその塾のチェーン塾として開業することを決めました。

退社→引っ越し

独立を決めたのが10月の後半か11月の頭ころだったと思います。そこからはトントンと話が進みました。開業する場所は実家がある新潟県の長岡市と決め、チェーン塾の本部と契約をし、それから勤めていた進学塾の上司に報告をし、年末にその進学塾を退社しました。そして静岡(富士宮市)から新潟(長岡市)に引っ越し、物件を探し、契約し、内装をし、本部に指導方法の研修に1週間行き(神戸市)、事業計画を立て、チラシをつくり、オリコミ日を決め、開業日を決めました。開業日は翌年の2月15日に決まりました。

 


【Part2】へ続く